毎朝起きると、音楽が流れる歌の本を開く娘。
朝も夜も聞いて喜んでいる。
立っちもするようになった。
毎朝起きると、音楽が流れる歌の本を開く娘。
朝も夜も聞いて喜んでいる。
立っちもするようになった。
先週日曜日に、0がある問題を起こした。
夫にそれを話したら、
「え、それ、ホントウ!???」と目をしばたたき、
「どうしてきみの周りってそういう(普通ではありえない)ことが起こるの!?」
とたいそう驚かれた。
こういう話こそ赤裸々にブログに書きたいものであるが、
0の話なので控えることとする。
ただ、私はそれを知り、0を抱える両親をみていて、ひどく切なく、
重い気持ちになった。
端的に言うと、親はもう老年でゆったり暮らせばいいのに、
まだ子の問題で悩まされている、という事実だ。
嫁いだ私のことも、もし私が悩んでいる、と言えば、
我が問題として苦しむのと同様に、
0のこともまた、自分のこととして苦しんでいる。
いったい、いつになったら親はその責務を免れるのだろう。
死ぬまできっと、いや死んでも、ないのではないか。
子を産んだ以上、親は一生、親なのだ。
べべを産んだ私・・・。
親になって良かったのか?
聖書にこんなことが書いてあるのに・・・!
ヨブ14:1
「女から生まれた人間は、日が短く、心が乱されることでいっぱいです。」
しかし、たとえ人間の一生が苦悩でいっぱいだったとしても、
どうしてべべが来るチャンスを逃せただろうか?
べべはいま、私に、そして、私たち夫婦に、
たくさんの喜びを与えてくれ、彼女が来て、
私たちは今まで知らなかったことをたくさん教えてもらった。
彼女は神様から授かった、大切な存在である。
---神様から、与えられた。
ということは、親になった責務もまた、与えられた。
ああ、だからまた、
子を背負っていくことは当然なんだろう。
神様が私たちを背負うように、
私たち夫婦はべべを背負って生きるのだ。
神様の背中の上で。
今週一週間のうち、最も暑いと予報された今日はべべ10ヵ月のお誕生日。
あと2ヵ月で一歳を迎えると思うと、この一年間は長かったような、短かったような、あっという間の日々だった。
そんな私のしんみりとした気持ちはさておき、この日は祐天寺の友達宅へ遊びに出かけた。まずはランチを、ということで、近くにあるお座敷があるお魚屋さんでランチ。
2人とも10月生まれ。おもちゃをとりあったりして、じゃれていた。
彼女に言語はどうしているのかと聞いたら、夫はドイツ語、彼女は日本語で子に話しかけ、夫婦の会話は英語だというから、ベビーが最初に何と言うのか、実に楽しみだ。
右のヨーグルトは友達の作品。中にお米が入っていて、振ると、かちゃかちゃと音が鳴るのをベベは喜んで、何度も振っていた。
そう、ベビーは案外身の回りのおもちゃらしくないおもちゃが好きなのである。
代官山ダッドウエイにて販売しているらしい。ボタンが二ヶ所あり、切り替える。
マタニティスイミングでお世話になったこどもの城で、べべの9~10ヵ月健診。
スイミングの時にお世話になった保健婦の方々が、私のことを覚えてくださっていたので、健診は会話も和やかに、写真も遠慮なく撮らせて頂いて(笑)、べべを診て頂きました。
終了後は、「良かったら使って」とベビーサンプルも頂き、こどもの城の乳児検診は色んな面で良かった☆
こどもの城で遊ぶチケットも頂いたので、夫と一緒にしばらくべべを遊ばせました。
ハイハイやつかまりだちが出来るようになり、ここ最近の成長スピードには夫婦ともども驚かされてばかり。
「○○家でビール飲みながら、花火大会見ようよ」と、友達が誘ってくれた。
夫は仕事で行かれない、と言う。
ならば、私一人でベビー連れの夜外出は避けたい。
「ごめん、行きたいけど、無理。」
と断った。
が、当日になって、無理であるわけがあるまい、
という考えがもたげてきた。
頭の中で、行かなかった場合と行った場合の過ごし方をシュミレーションしてみた。
行かなければ、いつもの夜。行った場合はどうなるか分からない夜。
むくむくと、今しかない時をエンジョイしたい、という思いが強くなり、べべも大事だが、母親である私自身も大事だ、と思いなおし、二人でお出かけすることにした。
友達の旦那さんと○○家に向かう。
4歳児がべべを熱烈歓迎してくれて、
ご馳走を頂き、
ベランダで間近で鑑賞。
○○家には何人かの人が集まっていて、中に私と同じようなベビーとママがいて、「しまった、ヘッドホンを忘れた!」という。
「何のヘッドホン!?」と聞いたら、赤ちゃん用だという。
赤ちゃんの鼓膜を花火音から守るためだといい、フジロックではヘッドホンをかけられているべビーが少なからずいるという。
ホント!?と思いながらも、大慌てでべべの両耳に手をあてながら、花火を見せた。子供にとって、花火はどう映るのだろうか。べべはじいっと興味深そうに見つめていたが、泣き出す子もいた。
べべと私、初めての神宮花火。2012年の夏。
フランシス一家が引っ越していった葉山へ車で遊びにいきました。
べべより一週間早く産まれたルル。2人を席に並ばせたら、なんと赤ちゃん語でお喋りをし始めました。
げんき~? 渋谷にもどっておいでよー
葉山の生活もいいよ~
なんて話しているのかな・・・。
ミズ・フランシスの旦那様が建ててるお店。海辺でカフェやバーが楽しめるお洒落なお店になるらしく、完成が楽しみ。
また、遊びにこようね☆
先週末の涼しさから、うだるような暑さが再会したので、私の疲労もピークになった。
昨夜は「もうだめだと思う。」と夫に言った。けれど夫は先日「寝すぎるのではないか?」と私に言った。
自分が寝過ぎなのか、それとも疲労から睡眠を求めるのか、なんだかわからないが、先日は二日連続で朝から眠たいという状況が続き、特別な用事もなかったので、ずっと家に居ついて横になってしまった。
実家の母は「(夜の授乳もしているんだし)それでいいのよ」といってくれたが、この無気力感は何なのか。気分も優れない。
おまけに初めて子育てを疲れた、と感じるようになった。
いままでは自分は意外と子育てに向いているのではないか、という小さな自信が芽生えていたのに、毎日の過ごし方を考えることが嫌になってきた。
これは先日、バリバリやっているママ(出産後4ヵ月で職場復帰し、朝5時半起床して英語の勉強をしてマラソンして出勤し、保育園へ子どもを迎えに行くという方。趣味のゴルフも再開したとか)の話を聞いて、同じように子育てしているお母さんの中でも、働いているママ友をちょっぴり羨ましく思ったりする。私も休みが欲しいよ、とか。
だけど、働きながら子育てしているママ友は、ママ友で、真夏の厳しさに揉まれながら通勤に労働に子育てに汗をかいているわけで、たぶん、それもまた、私と同じように大変なのであって、羨むことは間違っているのだろう。
今日は、あまりにも疲れていたので実家に少し帰った。
が、実家の母親も具合を悪くしていて、母親も年なので、やはりあてにしてはいけないなあ、と行く末を思い、悲しくなった。私がもう少し若くして産んでいれば状況も変わったであろう。だが、神様のなさることはいつも時にかなって美しいのであって、私がいまこうして子を授かったことは、神様から見たら最善のはずである。
連日の猛暑がやっと落ち着きを取り戻し、こんな涼しい日もあるんだ、と思いながら目が覚めた。まるで軽井沢にいるかのような、快適な朝である。気持ちいい。さて、今日はこのまま涼しい日になるだろうか。
昨日、代官山のラフェンテで、ベビー腹巻きを購入した。
◆オーガニックのオープン式腹巻き
腹巻きはだいぶ前から探していて、先日東急百貨店でも探したが、オープン式、というのは売っていなくて、やっと見つけたのがこちら。
それで、昨夜たまたま夫に未開封のそれを見せたら、彼が一言。
可愛くない・・・
と、想定外の苦笑いリアクション。
だけれども、実は私もそう思っていたので、「それしか(売って)なかった」
と言ったら、
「ほぼ日のハラマキみたいなの、ないの!?」と言う。
◆ほぼ日ハラマキ
たしかに、これはオシャレだわ
ベビー用は売っていなかったけれど。
でも、こういうとき、市場に自分が欲しいものがない、って言って、ベビーブランドを立上げるんだろうなあ、と思った。ベビー用品は、物的には十分出回っているのだけれど、お洒落な、というのだと、やはりまだまだ改善の余地はたくさんあって、海外の物を見ると目からうろこ商品がけっこう、ある。
もしも私が芸能人だったら、ベビーブランドショップを立ちあげちゃうんだけど。
こんなの作りたい、とか、あんなの欲しい、とか色々あるわ。