話は前後するが、出張の4日前に、義父が享年82歳で亡くなった。
義父、つまり夫の父は40年以上難病を患い、9月に入院すると、あっという間に衰え、最後は入浴後に童謡の音楽を聞いて、眠るように天国へ行ってしまった。
私は嫁として気を配るべき立場ながら、夫が気丈で淡々と全てをこなすため、殆ど何もしなかった。
私は、夫がエライなぁ、と思ったんだ。
仕事して、合間で病院行って、また仕事して、子供の世話もして、睡眠時間も少なく、心身共に疲労困ぱいしてるはずなのに、私が声を掛けるといつも、大丈夫、と言う。
それに対し、私などは病院にいくだけで具合が悪くなり、死の知らせで寝つけず、クタクタになってしまった。
無宗教の家族葬では、娘が絵を描いた。(頼んでもないのに、勝手に)
教会の絵と、おじいちゃんと自分の絵と、おじいちゃんいつもありがとう、の手紙。
誰かが仕組んだんじゃないかと思うほど、完璧なそれは、多くの参列者を慰めた。
義母もたいそう喜んで、これから焼く棺の中に、おじいちゃんへの手紙を入れた。
義父のリハビリしていた病院の院長夫妻もわざわざ足を運んでくださった。
お義父さんは、私には計り知れない人生だったが、祝福された最期を見、これでいいのだ、と思わされた。
人の死は、私たちの人生がつかぬ間だと言うことを思い出させてくれる。
いつその時がきても慌てないように、真摯に生きたいと思った。
〈バッハのカンタータより〉
わたしは、満ち足りている。
わたしは、きょうにも喜んでこの世を去ろう。
わたしは、満ち足りている。
たとえこの世と別れるときが今であっても、わたしは喜んでいよう。
わたしは満ち足りていると。
別れを告げよう、この世に。
わたしは、喜んで、主を待ち望む。
* * *
こうやって、幕を閉じられたら本当に残すことは何もない。