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菅首相、人類が疫病に打ち勝った証に五輪開催!

来年はコロナが収束し、五輪開催できるかはさておき、「人類が疫病に打ち勝つ」という表現は、神様の目から見た時、どう映るのか、と考えた。

古来から人を苦しめた疫病は、医学の進歩により、幾度も克服してきたわけだが、今回のコロナで明らかになったように、どれだけ医学が発達しても、人類が解明できないことはたくさんあって、神の摂理には及ばない。

私は、この、一見耳障りの良い、疫病に打ち勝つ証、という言葉が、私たち人間の傲慢さを表しているようで、不安になった。

驕り高ぶることに、日本の未来はなく、五輪もないのではないか。

そもそも、五輪などなくとも、皆が健康に生活できたら、それで充分私たちは幸せなはずだ。

大量の税金を使う、煌びやかな証が、必要不可欠というわけではないだろう。

誕生日プレゼント

今年も誕生日がやってきた。
朝、夫を送り出したら、私の作業していた場所に、プレゼントが置いてあった。

(わ!プレゼント!!) 驚いた。

さりげなさに、愛を感じた。サプライズ成功である。
近頃、夫は休日返上で働いているだけに、これがどれだけ価値あるか、私にはよく分かった。ありがとう。。。

メッセージカードを開いてみる。どれどれ…。

「お誕生日おめでとう!いつも、育児や家事をありがとう」

…って、私は、お母さんかーーーーい!!(お笑いのルネッサンスの人風に)

と、ツッコミたくなった。

まあいいや、彼らしい。ともかく、ありがとう。

さて、今日から私は、2日間夏休みだ。

誕生日、最初にやるならまず聖書でしょ、と、午前中はバイブルスタディーで課題の創世記をオーディオで聞いた。BSF(バイブルスタディーフェローシップ)という海外発の聖書学び会に、今月から新たな仲間と取り組むことになったからだ。

このBSFは、6月頃に声をかけられ、夏はアプリで平日は毎日、仕事の傍ら、聖書を読んで、自分の考えをSlackに投稿する、という作業を繰り返し、もう無理・・・と思った。だが、これは人のためにやるのでなく、自分が聖書と向き合って、今の恵みを覚える意味でやる、ということで、途中からは、投稿できない自分を責めるのはやめて、みんなの投稿を読むだけで、参加することに意義がある、となんとか、走り終えた。

それが、秋になると、このアプリのチームとは別のチームから、学びの招待状が届いた。平日学んだ内容を日曜夜にZOOMで1時間シェアする、という。日曜の夜、といったらリラックスはMaxの、ゴールデンタイムだ。

家族をよそに、夜に知らない人たちと顔を合わせるのもなんだか精神的に疲れるし、PCを立ち上げるのも億劫だし、私も夫と半沢直樹を見たいしな、と否定的な思いばかりが浮かんだが、悩みに悩んだ挙句、聖書というより、この出会いにも何か神さまの導きがあるかもしれん、と、清水の舞台から飛び降りてみた。

実に、コロナになって自分の何が変わったか、というと、神様との時間が非常に増えた、この一言に尽きる。これが、キリスト者として本来あるべき生き方だったのか。それとも私が年を取った、ということなのだろうか?!

在宅勤務になって、通勤電車に乗る習慣もなくなり、刺激が少なくなった結果、生活のシンプル化と共に、考えも非常にシンプルになっていった。自分にとって何が最も大切か、よく分かるようになったのだ。

同僚とどんなにオンラインで会議しても、体はいつもホームベースにあるから、心はいつも家庭に残る。そうすると、家の中心は何か、ということが私に迫ってきて、神様なしで生きられない、と強く感じるようになった。

私と、私の家は、主に仕えん

という言葉が、まんざら、うちにもあてはまらないでもない、と思うようになった。

まさかこの不良クリスチャンの私が、こんなに真面目な考えを持つようになるとは思わなかった。私のことだから、途中でド派手にすっころんで、奈落の底に落ちていくかもしれないが、今の所、

「昨日のことは忘れた、明日のことは分からない。まずは今日よろしく」

と、今を生きることをまず大切に、後悔なく生きていきたいものである。

というわけで、

長くなったが、お父さん、お母さん、こんな私を育ててくれてありがとう。

周りにいる主にある家族も、そうでない、お友だちも、先輩も、こんな私に寄り添ってくれて、ありがとうございます。

今年は海外にもいかず、ゴージャスなホテルにも行かず、誕生日ケーキのホールも買わなかったけれど、父が昨日差し入れてくれた、ローストビーフ、サーモンのマリネ、ひじきご飯に自家製漬物が、最高級レストラン並みでした!

 何もない日々が一番の贅沢って、まさにこれです。ありがとう、ありがとう。感謝、感謝な誕生日でした。

by桜子