私がバイオリンレッスンを約三ヶ月ぶりに再開。
その間、娘と主人は近所の交通公園へ。
初めて乗った自転車やゴーカートに大喜びのべべ。
こんな仰々しいタイトルをつけるほどでもないのだが、働き始めると、当然だがママ友の付き合いが減る。
仕事しているんだから仕方がない、のだが、それも半年経とうとする頃には寂しさも覚えるようになる。
専業主婦時代に自動的に入ってきた地域情報は減るし、子の成長をあれこれ語り合う友も減る。
保育園ママとはすれ違いざまに園の情報交換や安否確認をするのみである。
そういう付き合いがさっぱりしていていい、というワーキングママもいて、私もそれだと思っていた。
・・・のだけれど、
ちょっとちょっと、なんだかさびしいんじゃない?
と、最近そんなことを考えながら仕事していた。
夫にそんなつまらないことを考えているんだ、と夜中に打ち明けたら、
「その、胸のざわざわ。それ、すごく大事!!」
と叫び、
「心の中のきみが意義を唱えているんだと思う。
何が言いたいのか、自分に問いかけてごらん」
と言う。
それで、耳を傾けてみたところ、
『ママ友と会いたいよ~』
『子供を連れて遊びたいよ~』
『有給使って、会社を休んで、ママ友とのコミュニケーションに時間を割くことだって、
新生・桜子には大事な時間なんだよ!!』と言う声がして、
明日と明後日、思い切って会社を休ませて頂くことにした。(上司OK←感謝/涙)
たぶん無意識的に次のように考えていたんだと思う。
・働いている私は、生活のプライオリティーは育児と仕事をこなすことが第一義で、
ママ友との付き合いは二の次にすべし。
・時間が余っていたらビジネスのスキルアップか、主婦なんだから家事をすべし。
ところがどっこい、よおく考えてみると、
〝「人」はヒトとヒトが支え合うことから「人」という漢字が出来るんだよ〟のごとく、
人づきあいは生きていく上で欠くべからざるものであって、特に私の場合はママ友コミュニケーションは必要だ、と思った。
というよりも、いた方が働く上でラクな気がした。
先輩保育ママからも昨日、
「同じクラス(保育園)に、たったひとりでもいいから、仲が良いママを作ったらいいよ」
とアドバイスされた。
「たった一人でも理解者がいるとね、悩みや不安からずいぶん解放されるから。」
というのが、その理由だった。
働きながら育児する--
そのために、無理をしたり、付き合いたくないママ友と付き合うのは本末転倒なので、頑張る必要はない。
だから、その人なりのペースで、出来る余裕があるときにはママ友とお茶でもしよう。
その中で、もし本音で話せるママ友が見つかったら、それはママを超えた、あなたの財産だ。
追伸:人という字は人と人が支えて合っている、は嘘、こんなサイトありました。。「人は一人で立って歩いていく」ということだそう。
まあ、金八先生の発言は嘘だったとしても、良好な人間関係は、ごはんみたいに、人生に欠かせない主食のようなものだと私は思うのです。
吉本の方からチケットを頂き、無謀かなと思いながらも2歳娘を連れ、新宿のお笑い劇場ルミネTHE吉本へ。
本日の出演
ロバート/ライセンス/あべこうじ/はりけ~んず/しずる/とろサーモン/ロシアンモンキー
ロバートが誰なのかもよくわからず、行く意義を余り感じていなかったのだが(でもチケットを頂くご縁はのらねばと思った)、行ってみて非常に良かった。
お笑いはやっぱり面白いのである。
何よりも、テレビで見るそれとは違って、劇場では芸人さんの真剣さと発声の巧みさに胸を打たれた。
開演時間は70分。娘は50分もったので、まあ良かったかな。
* * *
夕食時。
娘が「べべちゃんが祈る」と食前の祈りを立候補したので、それではどうぞ、と指名した。
娘は早口で一気にまくしたてた。
「イエスさま、ちょうは(=今日は)ママが(保育園に)迎えに来ませんでした。
ちょうは(=今日は)ママが一日遊んでくれました。ありがとうございます。
今日は公園に行きました。それから病院に行きました。
電車に乗りました。ケイくんと会いました。ありがとうございます。
ママの身体の健康守ってくらはい。べべちゃんの身体の健康守ってくらはい。
アーーーーメン!!」
ブログに書いていると、ホントにこんなこと言ったかなと思うのだけど、
娘は私がまったく指導していないのに、感謝するということを覚えてくれて、
私が今日一緒だったことが彼女にとっては特別だったということを知ると、いつもそばにいなくてごめん、
という申し訳なさが生まれて来る。
働いていて「後ろめたい」というのは、
ワーキングマザーが絶対抱いてはいけない想い--だが、どうしても私の胸に
「働き続けてていいのか」と問いは、いつもいつもこだましてしまう。