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after
ストップというまで、はまぐりがわんこそばみたいに乗せられるというお店。
月別アーカイブ: 2008年5月
苦しくなったとき読む本
人は生まれると苦しみに会う。
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※カナリ重たいので環境が良くない人は開かないように。
オフィスが移転しました
虎ノ門1番出口から徒歩5分。
新オフィスは興和新橋ビルの2階。大きな窓から緑が見られて清々しいです。
ちなみに、今朝、職場を間違えて、お隣のキッコーマンさんの2階に入ってしまいました。ラジオ体操が流れてきたので、経営方針が変わったのかと思い、「わが社の居室はどこでしょうね??」といったら、「???」となり、間違いに初めて気がついた次第。いやー、おかしいと思った。
高峰高原と佐久平
雪がまだあるよ
無人モノレール(6人乗り)で山を登り、露天風呂に入ります。
佐久に花咲く。
タイ料理(Thai)
バミーセンミー(激辛味付け←自分好み)
調味料
コカ ソイ39
大好きなまるこ
美味しいものは幸せだ
タイ式で挨拶するマクドナルド(BKK)
ナーラック、チャイマイ?(訳:可愛くない?)タイ語、10年ぶりでしたが、まだまだゼンゼンいけます。定年を迎えたら移住を検討しようと思います。
人生は自分で選んだ道?
たとえば、「私の人生こんなはずじゃなかった」とか
「あのとき右でなく左を選んでいたら」などといって、
ふと振り返るクセ、あなたにはないだろうか。
後悔はしていない。
でも、決着ついた過去に戻って、あの選択はあっていたのか考える。
意味のないことをついしてしまう、そういうこと。
学生の頃、自己実現を目指していた私は、あるときから、
「自分ではなく神様のために生きていく人生」という生き方を、
好むと好まざるとにかかわらず、選ばされた。
強制された物言いをするのは、不本意だったからである。
私は物心ついたときから、神様の存在について考える土壌にいた。
幼い頃は素直に信じていたが、思春期になるにつれて、
毎日曜日に日曜学校へ行かなくてはならないことや、
あれしちゃいけない、これしちゃいけないが難しすぎて
(誰かのことを羨むのも殺人も同じ罪なので、しょっちゅう謝ってばかりで罪の意識に苛まれて苦しかった)
そして、神様なんて目に見えないものは信じられないとか
日曜日に教会へ行くより遊びたい等という負の要素をあるとき突き抜けて
神様を信じるようになってしまった。
これは、信じようと決断したのではなく、知ってしまったという感覚に近い。
だから逃げ道がない。
かくして、信じるようになってしばらくしてから、
「信じる人生は自己犠牲」という、信仰の本質を知ることとなる。
この瞬間は相当なショックを受けた。嫌だったからである。
でも、戻れなかった。
信じることは、自分の損得や計算ではなかった。
結局色々なことがあって10数年が過ぎ、
今もまだおぼろげながら信仰を保っている。
そんな私にある晩、こんなことを言った人がいた。
「 どうして「○○が辛い」とか言うのかわからない。好きなことやってて、
自分が選んだ人生だよね?嫌なら辞めればいい。人生は自己責任だよ」
私は先に述べたとおり、信仰を持って以来、自分で選んだ人生じゃない、
と思っていた。だから、この言葉には大いに戸惑った。
「え?だって、自分で選んだ人生じゃないもん」
がしかし。自分で選んだ人生じゃないっていったいどういうことだろう。
バンコクサンデーマーケット珍グッズ!(Thai)
仕事に疲れたら必見、お薦めです!
この気持ち悪いの何?っていわれるんですが、これって卵とかトマトとかスライムなのに復元するっていう。わかるかな~?
BTSこんな広告ってどうよ?(Thai)
モノレールや地下鉄にあるバンコクの広告って意外とイイんですけど。
写真とか斬新だし、結構好きです。
BTSには動画テレビも内蔵!すっかり都会化しています。