日曜日の礼拝と心配ご無用(2)。

日曜日、朝の礼拝へ出かける。
今朝は淹れた珈琲がとても美味しい。外出するのがいやになった。

・・・ゆっくり朝を楽しみたいなあ。・・・行きたくないなあ。

エコーのように心の声がこだましたので、声に出す。

しーん。

傍らにいる母は同じく珈琲を飲み、日経に夢中になっている。
子供の頃は、よく、お食事中にテレビや本を読んではダメよとしつけられたが、大きくなると教育は終わるらしい。

無反応なので、オウムのように繰り返したら、ようやく反応した。

「あら、じゃあ、行かなければいいじゃない?」

ナイスな返事。私はこういう発想をもつ彼女に対し密かに感動する。
柔らか頭だなぁ。「行かなきゃダメよ!!」と言わないものね。

けれど素直に喜べない私。
行かないことに対する罪悪感がある。
一週間(神様の)お世話になっておいてお礼をしに行かないというのは大変不義理な気がするの。

でも行きたくない。

行きたくないんだけどねえ・・・、と独り言か会話なのか曖昧な発言をしたら、
「ごめんなさい、と神様に言えばいいじゃないの」とあっさり応える。

 ぴょこっ・・・(芽が生える)

それで私はすこしすっきりした。
たぶん、無理しなくていいことを再確認できたので気楽になったのだと思う。
「お席があるように祈ってて」と言い放って、外へ出た。
てくてく歩く。完全に遅刻だ。

私が集う場所はいつも満員御礼で、老若男女問わず大勢が来ている。
聖書を中心とした無所属無派閥にて、組織も献金制度もない教会なので、
他の教会生活に疲れた人が多く集ってきている。

炎天下、駅から歩くこと15分。

案の定、入り口前は誰もいない。ギィーっと、ドアを開けた。

満席。いつもの見慣れた風景だが想像通り。
仕方がない。モニター画面で礼拝が見られる2階へ行こう、と、そのとき。
「すみません」と声がした。
振り返ったら、水色のシャツを着た背の高い人が、リュックを背負って立っている。「僕、初めて来たんですけど、礼拝はまだやっていますか?」

・・・この暑い中、来た。しかも、初めて・・・??

軽い眩暈と感動を覚えて、どうしていったい1人で来たのか聞いてみた。
なんでもリンデというパン屋さんでこの場所を知ったそうで、
アメリカで洗礼を受けたが、教会に来るのは3年ぶりだという。
後日談だが、彼は「今日来ないとやばいと思った」と言っていた。

そんな彼を2階へ連れて行き、私の持っている本を2冊貸す。
ちょうど席も並んで2つ空いていた。
主に感謝しながら、人生はびっくりだ、と思いつつ礼拝を捧げる。

だってね、
 1)遅刻したが、座れた。
 2)座れただけでなく、彼の役に立った
 3)2=神様のお役に立った
のだ。

すばらしいと思いませんか? 私のダメ信仰も役立つじゃない!? 

まさに神様は全てのことを働かせて益としてくださるのである。

彼から次々に来る質問に答えていったら、別れ際には
「僕、来週もまた来ます!」と言って、自分の名前を添えた
手書きの名刺を渡して去っていった。

社内でおしゃべりが少ないと、その分お外でおしゃべりのチャンスがあるらしい。

心配ご無用(2)。という、お話。

追伸:念のためにいいますが、彼、18歳ね。

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