新幹線の中でくつろぐべべ。赤ちゃん連れは荷物が多くて大変だったけど、大叔父の洗礼式も無事終わり、また思い出が出来ました。
滞在先の倉敷アイビースクエア。
新幹線の中でくつろぐべべ。赤ちゃん連れは荷物が多くて大変だったけど、大叔父の洗礼式も無事終わり、また思い出が出来ました。
滞在先の倉敷アイビースクエア。
大叔父宅にて
91歳の大叔父と0歳のべべ。
4年前、大叔父宅を訪れたときは一人身だったのに、今では三人になったと報告。あのときの時間が、この時間につながっていることが不思議。
その夜、大叔父はゴッドホルドベック宣教師から、一人で洗礼式に与った。
とても感動的なものだったと、翌日参加された方々から伺った。
(わが家はベビーがいたので洗礼式は不参加)
2009年の初訪問から、母が年に1,2回訪問して3年。
大叔父は信仰を持つ者へと変えられたのである。
それは文字で書く以上に、大叔父の人生を一変させる、大きな出来事なのである。
岡山県倉敷市の旅の続き。
珈琲でも飲んで帰ろうか、というときにO夫人が橋のふもとに佇んでいた男性から声をかけられた。要するに、景観について教えてくれたのである。だが、これがきっかけで男性は大原美術館のうんちくを語りだし、「おたくらに、俺が10年かけて蓄積してきた知識を全部教えてあげる!!」と言って、私たちをあちこちへ連れまわし始めたのである。いや、連れまわして頂いた、というべきか?
★その証拠動画はこちら(ガイドの様子)
(確かにその知識たるや10年以上の知識である)
迎賓館
大原邸
そして要所要所で私が持っていたカメラを要求して、私たちの写真を(お願いしてもいないのに)バシバシ撮ってくださった。
ガイドを聞いていると、途中で白髪の大原氏が通りかかって、「あの方が大原氏だよ」と教えていただいたりもした。
ご厚意は大変、ありがたかった。
だが、私たちは内心思っていた。このガイドはいつ終わるのだろう?と。
(※実は全員がそのように不安に感じていたことは後で判明した)
時間は既に30分以上たっていた。
ロックフェラーが立ち寄った名店とか、この奥にポルシェがあるとか、その話は確かに驚いたり面白かったりするのだが、私たちは今朝からずっと歩きっぱなしだった。
それで写真を撮りますと言われると、母や私は言われた通り動いていたのだが、ついに被写体になるのに疲れたO夫人が、「もう(私は)いいわ」と言った瞬間、彼が言った。
「そこに立て!!!」
ビックリである。
私たちはぷーっ、と一斉に吹き出した。
「なんで命令されるの!?」
笑いが、疲れと共におなかの底から一気に込み上げた。ゲラゲラ笑った。今書いてても笑ってしまう。笑い過ぎてヒーヒー言いながら、流れに身を任せる雰囲気になって、結局1時間ぐらい歩いた。
最後、この方が「500円をくれないか?」と仰ったので支払って終わった。
なんだ、そういうこと?と思ったのだが、金額が僅か時給500円だ。首をかしげた。どうしてガイドをしてくれたのか。
皆でいろいろ考えた結果、母が「もしかしたら、あのセリフは一人当たり500円という意味だったのかしら!?」と言うではないか。
ハッと皆で顔を見合わせた。
だが〝確かにあの人は『コーヒー代に500円くれない?』と言った〝と私が
言うと、
「よかったー、コーヒー代なら500円よね」
「そうよー」
「じゃあ、だいじょうぶね、よかったー」
と言うので、全員でハハハ、ハハハ、と笑い合った。
お土産話をたくさん頂いて、素敵な思い出がまた一つ増えた。
9月4日、生まれて初めて岡山県の倉敷市へ出かけた。大伯父に会うためである。
初日は岡山に宿泊し、翌日は広島へ泊る予定の2泊3日の旅である。
メンバーは、母と未亡人のO夫人に私の3人。
羽田空港で待ち合わせをして岡山へ飛び、倉敷駅で岡山在住のM婦人(O夫人の友人)と待ち合わせして、大伯父宅へタクシーで行った。
そこで驚いたことが4つある。
<その1>
M婦人と大伯父に共通の知り合いがいた。
(抽象的な表現なので、感動が伝わりにくいと思いますが)
<その2>
M婦人が毎日曜日出かける場所のすぐそばに大伯父の家はあった。
<その3>
大伯父がベネチアングラスを見せてくれたことから話が派生し、「なんでも鑑定団」に出た過去があることが判明。TV局に請われて2度も出演しており、そのお宝話が半端じゃなく凄い。書きたいけどそれは書けない。ああ残念。
(「なんでも鑑定団」の北原照久さんにお会いしたら今度この話をぜひしたい)
その後、全員で美観地区へ。
日本にこんな場所があったとは!
アイビースクエアで素敵なランチを頂いて、日本初の西洋美術館である「大原美術館」で素晴らしい収蔵品の数々に感動した私たち。
夕暮れになって大伯父とM婦人と別れた後、最後の珍事は起こった。
★最後の珍事を読む→ココをクリック