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2026年、ストレスは突然に(2)

昨日、家族の昇天を経験した人たちと話をした。

ある娘さんは、90歳過ぎの父を見送った。
最後に、病院で治療させたことを、未だに少し悔いていた。

彼女は、父を病院へ預けない選択肢もあったのに、と言った。

今となっては過去のこと。
だが、それでも考えてしまうのは、大事な人だから。



この日は、本当に不思議な昼だった。
私以外の全員が父親を失う経験をしていた。
ひとりひとりの話を聞くうちに、なんとなく、私の番になった。


・2/25、父が、慶応義塾大学に入院。
・2/26、要介護4の母が老健に入居。


1月から父が、起き上がれなくなった。
父は助けてと言わない。だが、珍しく連絡があった。

「急いでベッドを買って!今すぐに!」

目覚めるとき、床につく手の痛みで身体を起こせない、という。
這って母のベッドポールをつかみ、なんとかはいつくばって起きる状態だった。

この父が、介護サービス一切を使わず、母を世話していた。
私は父に、「助けて」や「手伝って」と言ってほしかったが、最後までこれ以外の支援を求められなかった。

私は実家に行くのが大きな苦痛だった。見る現実が辛すぎた。
が、何度訴えても、父の耳に入らず、父は自分の解釈で物事を進めていた。
私は自分の精神を守るため、実家と距離を保つしか、選択肢がなかった。





人にはおのおの、追うべき自分自身の重荷があるのです(ガラテヤ6:5)



落ちていく実家を、未然に防止したかったが、神は各々に重荷を負わせた。
私は、どちらかといえば、祈りと共に行動を大事にするタイプだが、親の運命は祈るしかなかった。




孤立していく実家を見、クリスチャンの末路を思った。

子どもの頃は、クリスチャンの末期は愛で溢れていると信じていた。
だが、そうでもなさそうな話を最近よく聞く。
第一、聖書には殉教者の死が多数ある。ハッピーエンドは天国で初めて実現するんだろう。




わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、
だれ一人自分のために死ぬ人もいません。

わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、
死ぬとすれば主のために死ぬのです。
(ローマ14:7、8)



両親の死を覚悟していた数年間だった。が、まだ二人は生きている。
孤立からも、ようやく解放されたかもしれない。
入院・入居で、家族以外の目や支援が、両親に注がれる。


なんだって私にはこの上なく、ありがたく思う。

ただ、私は一言だけ最後に書いておきたいことがある。
孤立していった親だが、最低限の人たちを神様は残してくれていた。

私は親がこの上なく悲惨になったと思っていたが、
ひとり、ふたりと、親を慕う人たちが残されていた。
これは大きな驚きの一つでもあった。


by桜子