足掛け2年、ついにインタビュー実現!!
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★飽戸弘さんの簡単なプロフィール
1935年神奈川県生まれ。東京大学教育学部卒。現職、東洋英和女学院大学学長、東洋英和女学院副院長、東京大学名誉教授。現在、放送倫理・番組向上機構(BPO)理事長、日本行動計量学会理事長、大川情報通信基金理事・研究助成委員会委員長。社会心理学(消費者行動論、政治意識論、マスコミ研究)を専攻、著書多数。
(「アメリカの政治風土」(日本経済新聞社)、「消費文化論」(中央経済社)、「データで人を動かす法」(主婦と生活社)、「新しい消費者のパラダイム」(中央経済社)、「イメージの心理学」(潮出版社)、「社会調査入門」(日本経済新聞社)、「コミュニケーションの社会心理学」(筑摩書房)、 「売れ筋の法則、――ライフスタイル戦略の再構築」(筑摩書房)ほか)
★桜子が勝手に選ぶ、飽戸弘語録
・もう本当に能力がないのに運がどんどん・・・ラッキー
・人間はやり直しがきくんだよ
・自分に自信があり過ぎて人が物足りない。
そういう人間でしたからね、余計変われたんだと思う
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■東洋英和大学の建学精神は『リベラルアーツ』
桜子「東洋英和大学の雑誌【楓園(Fu En)】にあった飽戸学長と恵泉女学園大学長の対談を拝読しました。社会に役立つ資格取得よりも人格形成に注力しておられる点が面白いなと感じました」
飽戸「世の中の動向も、受験生自身も、資格だというんですね。うちも資格取得を支援しますけれど、しっかりした教養を身につけて、資格はおまけで、資格も取れるんだ、というのを先生にも伝えています。学院は120年ですが、大学は来年で20周年ですから建学以来、リベラルアーツをしっかりやっていこうと。国際社会学部というのがありますがこちらは政治・経済・社会学。これは女子学生が一番嫌う学科なんですよね」
桜子「へえ・・・そうですか?」
飽戸「(頷く)それをわざと中核に置いているんです。学問をしっかりやらせる。それがベースです。最初うちの大学が出来たときは幼稚園免許といった資格がなかったんです。学生の要望があって出来たわけですが、本来の出発点からの考えは変わっていない」
桜子「意外ですね」
飽戸「まあ、少ないと思いますね。(資格主義の)社会や学生の要望に沿うよう改革していくのがほとんどですが、うちはそこをしっかり守っていこうと。新しい時代の女性リーダーを目指す子も小さい子供の面倒を見たいという子もいらっしゃいと。ベースはリベラルアーツ」
桜子「国際教育にも力を注がれていますが、飽戸先生は英語が嫌いだったと・・・(笑)」
飽戸「英語大っ嫌いでね。僕の英語の論文を読んでアメリカ人が取材に来てくれるだけど、ちょっと用事があるって逃げまくっていたの」
桜子「(^∇^)アハハハハ! 逃げまくっていた」
飽戸「だけど、助手から助教授になりたての頃、米国に留学したくて色んなフェローシップ(基金)を10ヵ所ぐらい受けてね、みんな落ちてた」
桜子「・・・それはちょっとイメージと違ってなんだか励まされます」
飽戸「落ちまくってたの。全滅でね、これはもうダメだと諦めかけてた。
それが一つたまたま補欠で受かった、それが最初の留学なんですよ。一年間アメリカへ行ってすっかり米国が大好きになっちゃった。だから、そこで人生がひとつガラッと変わっちゃったのね。それからは受けるもの全部受かって、それまで連続で落ちていたのにほとんど落ちない。まあ、不思議ですけどね」
桜子「ふむ」
飽戸「だから・・・やっぱり時があるんですね。全てに時があって、それが一つの転機になって、国際比較研究が僕の中心テーマになった。僕が東大にいたときじゃバブルの全盛時代なんですよ。財団を受けても皆受かってね。だから非常に運がいいんですよ。もう本当に能力がないのに運がどんどん・・・ラッキー」
桜子「いやいや、能力ないのにってそんなヾ(~O~;) 」
飽戸「僕が東大辞める直前にバブルがはじけ、東洋英和に来る頃には財政難になって。それまで研究費を使い切れないくらいもらって」
桜子「うーん、今の企業が聞いたら欲しがる・・・」
飽戸「ちょうどそういうラッキーな時に、仕事が一番のピークでぴったり与えられたんですね。だからまあ、焦らないで時を待っていれば必ず神様が働いてくださる」
桜子「(・・*)。。oO ホント?」
飽戸「(コクリ頷く) 必ず神様が最善の計画を成してくださる。信仰とそういう所は結びつくんですね。焦ってガタガタすると余計悪くなる。だから静かに、準備だけはしっかりして待つ」
■夢を持てない若者たち
桜子「【楓園】で学生へ夢を持つことの大切さを説いておられる。以前、東大卒のIT社長が『東大に入ったら東大生の顔が余りにも暗くて驚いた』と仰っていたんです」
飽戸「ほんとですね。子供も辛い社会に生きているし、若い学生も大変な所で生きているわけですよね。僕らが大学生の頃は貧乏人でも一生懸命やれば道が開けるっていう、皆ある程度の夢を持っていましたよね。カリカリやり過ぎていたというのはちょっと気になるけど」
桜子「ふむ、ふむ」
飽戸「今どきの子供は小学生の頃から夢がないんですよね。お父さんのようになりたくない、大人になりたくない、と子供は平気で言うでしょう。大学出ても大した仕事はつけない。一生懸命頑張っても先が知れている、という時代の閉塞感の中で若者は青春を過ごして、そういう意味では大変だと思うんですよね。引き篭もりは今30代、40代もあるわけでしょう?だからやっぱり職場環境が非常に厳しいんですよ。そういう大変な中で今の若い人たちは生きている」
■大学生に言いたいこと
飽戸「だから僕はせめて大学生の間にね、一人一人が、そんな一流企業に入らなくてもいい、偉くならなくてもいい、本当に自分がやりたいことは何か、向いている仕事は何か、見つけてほしい。最初の目的と違ってもこの四年間で挑戦して、自分で夢を見つけ、夢を育て、自分にこんな所があったのかと発見して、それで社会に出て行ってほしい。それが僕のスローガンなんですね」
=学生の手作りによる学校案内
「広告・広報が専門だから」と大学長自らが広報委員長で作成。飽戸先生曰く、一番評判が悪いのが学長の挨拶(笑)、一番評判がいいのが学生の手作りパンフレット(笑)
桜子「わー楽しそう・・・(笑)。ここまで先生が包み込むように守ってくれる学校っていいなあ・・・」
飽戸「小さい大学ですから。クラスも少人数で先生方とも仲良くなるんですよね」
■子供に夢がないと言われたら?
桜子「子供からある日突然、『お父さん僕は夢がない。生きていくのがいや』と言われたら、親は何と言えばいいんでしょう」
飽戸「大人の責任なんですよね。大人が夢のないような話ばっかりするから親のようになりたくないって。だから親が夢をもって、夢を必死で追いかけていれば。よく親の背中を見て育つといでしょ。仕事でも趣味でも社会奉仕でも何でもいいから親が一生懸命やっていればいいと思うんだけど。僕も・・・僕の大部分の人生振り返ると、まあ、夢があっても、夢が仕事だけでしたからね。仕事人間で家に帰ってくると疲れ果てちゃっているわけですね。くたびれ果ててぼーっとしているお父さんみてもあんまり憧れもないし・・・」
桜子「アハハ、家の中ではね。外では輝いているけど」
飽戸「ほんとに子供達には申し訳ないことをしたと。あの(しばし沈黙)クリスチャンになったのも、そこに気がついてクリスチャンになったわけですね。やっぱり子供に親が何かの形で頑張っている姿を見せることが大事だと思うんだけど、サラリーマンは特にそれは難しいでしょうね。子供も年代によって難しい時期もあります。話しかけても子供が耳を貸さない時期もありますから」
■人気投票1位
桜子「えっと・・・学校の話をもう1つ。人気投票で1位だったという噂を聞いたんですが」
飽戸「僕ね、学長になる前の年とその前の年2年連続1位だったんです」
桜子「すごいじゃないですか!なにかご存じなかったとか?」
飽戸「最初知らなくてね。『先生、人気投票が1位でしたよ』って。え、じゃあ去年は誰だ?と聞いたら僕だった」
桜子「誰も教えてくれなかったんですね (ノ∇≦*)」
飽戸「うん (^ ^)」
桜子「気にしてないんですか (^∇^)」
飽戸「それはねえ・・・。僕ね、授業はわりと面白いと思うんだけど。冗談までちゃんと毎日メモしておくから。でも唯一の欠点は点数が辛いんですね」
桜子「あ、辛いんですね (笑)」
飽戸「あの先生は授業面白いけど点数が辛い、って生徒が逃げていく(笑)でも好きなことをやらせるんですよ。一番自分が好きなことやったらいいって言ったら一生懸命皆やりますよ」
※東大生で漫画研究や競馬研究をした方のお話。学術論文だから競馬も漫画も知らない先生がわかるように書くよう指導したお話など拝聴。
桜子「学生から『学長も授業を持ってほしい』というリクエストが来たと。凄いですよね!」
飽戸「そう。授業やれっていうんですよ。僕、学長になっちゃったもんだから、学生と入学式と卒業式でしか会わなくなっちゃった。それで学長がどんな人かわからないって言うから、やっぱりいつも学生と交流していなくちゃ学長は務まらないと後期から授業を持つことにしました」
桜子「えー!!楽しみですね」
飽戸「うん」
桜子「でも、面倒くさくないですか (ぷぷっ)?」
飽戸「いや、もう大変ですよ。雑用がこんな(山のジェスチャ)あって、週1回コンスタントに時間が割かれるわけですからそれは大変ですよ。」
桜子「というのは、飽戸先生は大学だけじゃなく、公の場でも社会的責任が問われる役割の仕事も沢山抱えておられる。何を質問したらいいのかもう分からない(笑)そういった役割の仕事は引き受けざるを得なかったんですか?」
飽戸「一番大きなものはBPO」
桜子「テレビに恩返しするつもりで引き受けたと」
飽戸「そういうことなんですよ。僕はマスコミ研究ですから、研究費の半分は新聞社やテレビ局から頂いているわけ。テレビ局の調査部等を指導しデータをもらって論文を書く。だから、そういう意味では、そのおかげで僕はマスコミ研究者でいることが出来た。僕は前からね、学者というのは趣味じゃない、研究成果が出たら社会還元しなさい、その結果を使って世の中に奉仕しなさい、提言しなさいと(言ってるんです)。それが出来ないで誰にも分からない論文を書いても、学問じゃない。趣味や自己満足だ。僕の論文はアカデミズムとジャーナリズムの中間なんですよね。だから選挙にしても消費者行動の分析にしても、ジャーナリストが既にやっていることなんですよね。それをアカデミックなデータとつき合わせる。そういう意味ではジャーナリズム、特にテレビ局に恩返ししたい。自分のやった研究が役立つのはうれしいわけですね。しょうがなくてやっているわけじゃなくて」
桜子「ほんとうですかー?」 ( ゚∀゚)・∵.← ウソォという顔
飽戸「本当、本当。むしろ学長の方が(笑)。だってやったことがなかったもの。なりたいとも、なれるとも思ったことは全然ない」
桜子「(ノ゚ο゚)ノ ええええ!?そうなんですか!?」
飽戸「今年70で定年だと思って、家内とスイスに旅行へ行こうと切符を買っていた。そうしたら選挙で学長になっちゃって。退職祝いの時計も頂いたというのに(笑)」
桜子「アッハッハ。でもそういうことは、それこそ、任命で天から授かったんですねえ」
飽戸「そうですね」
桜子「だけど、学生さんはこういう学長がいて幸せだと思うんですけど(^^)」
■通信と放送の融合問題や秋葉原事件について