「キッザニアのチケットがあるから、一緒に行こう!」と港区の同級生が言った。豊洲にある、職業体験施設のキッザニアは、私にとって東京ディズニーランドのような印象がある。
①混んでいる
②入場料がいいお値段である
③子供が喜ぶ
この地域では多くの母子が出かけており、私も「いかねばならない」と思っていたが、出かけてみて、分かった。知らなくても子は育つ、ということだ。子の社交関係を思いやると、行かないと子の肩身が狭くなる可能性が(高学年で)あるのかもしれないが、行かなくてもいいな、と思った。
もちろんキッザニアを否定するわけではない。お金を稼いだり、運転免許を取るのにお金を払う経験は、良い社会勉強だ。けれども、そういうことが経済的に余裕のない家庭のことを考えたとき、私の胸に、上記の「行かなくてもいい」という結論が出たのである。
娘は初体験が「楽しかった!」と言ったが、施設より一緒にでかけた友といつまで過ごせるか、の方が関心事だった。そして、その子もまた、娘と同じで、どこにいるかよりも、一緒に遊ぶことを望んでいた。思うに幼児から低学年にかけては、キッザニアでなくても、友達といれば十分しあわせなんだ、と分かった。
過日の放課後を思い出す。
娘はクラスの子と広場で遊んでいた。何もないのに、二人は楽しそうに過ごしていて、何の話をしているのかと思ったら、空想の世界で探検をしていた。私は娘に話しかけるその子の瞳があまりにもキラキラ輝いているのに感動した。私たち大人が失った世界が、そこにはあり、子供にとってはそれが日常なのである。
そういうわけで、私は大人の作り出す物質的なものと、子の持って生まれた力を考えたとき、彼らの力を大切に守ってやりたい気がした。この社会でやすやすと失われていかないよう、配慮していくバランス感覚が、私たち親にはとても大切だと思う。