渋谷で出会う人々

今日は松濤にある、大向の託児を利用した。

一時保育は、四時間。
朝十時に娘を預け、午後二時にお迎えにいく。

今日で五回目になるが、これまでのべべは、別れ際に一緒、一緒(にいたい)と泣き騒ぎ、迎えにいくと、出された給食は一切食べず、殆ど飲んでいない有様だ。

この日も、やはり食べなかったそうなので、彼女を迎えにいくとお弁当を、すぐに食べさせた。

公民館のような場所で横並びに2人で椅子に腰かけて、ご飯を食べていると、エレベーターから年配の人が上がってきた。地下に、渋谷区の高齢者向け浴室があるとあとで知った。

ドアが開くたびに、「こんにちは」と、頭を少し下げて挨拶するべべ。

私もビックリしたが、
ちょうど出てきた方もたいそう驚いて、

「まあ、あなた、お利口ね!!」
と、近づいてきて、お弁当を見るなり、私に、いい育児をしてるわねと褒めてくださった。

まあ、それは、ただ単にコンビニ弁当じゃなかったから褒められたのだと思うけれど、

あまりにも褒められたので、私はこの見ず知らずの人に今の不安な気持ちをぶつけてみよう、と思いたち、育児に自信がないです、と言ってみたら、

「そりゃそうよ、初めてなんだもの。それに自信があるって言ったら、それはそれで問題よ、あなた」
と、言われた。

面白かったのは、その後、彼女と渋谷の行政や南平台について語りあった点で、彼女は35年以上、南平台に住むお隣さんであった。

では、さようなら

と別れて、べべと私は東急百貨店の本店に向かった。

タタタタタと爽やかな秋の風に吹かれて走るべべが危なっかしい。大向から本店へと続く道はなだらかな下り坂になっているのだ。

途中、カエルのように、バターンと、二度も前のめりに転んだ。

「いたい、、いたいよ」
と、泣きだしそうで泣かなかった。

すると今度は松濤に住んで30年という上品な老女が、

泣かないで偉いわねぇ

と小さな声で語りかけてくださって、道すがら、しばし最近の渋谷の道路事情について話し合った。

百貨店につくと、

さようなら

と言って別れた。

そうしてそこで用事を済ますと帰り道で、ついに娘の電池が切れた。夕方4時、珍しく抱っこしてと大騒ぎして泣き出した。

しかし沢山の荷物でおまけにベビーカーがあるので、抱っこをしていたら帰れない。

泣き叫ぶままにベビーカーを押していたら、周りの人がこちらを見る。

なんだか冷たいような視線、、
私も疲れているので取り繕うこともしなかった。

だが、しかし。
娘が本気で涙を流している。

今日は一時保育もしたし、
疲れも溜まっているんだろう。

しょうがないのでタクシーに飛び込んだ。

近い距離ですみません、
そう言ったら、運転手さんはほんわかした感じの良い方で、状況を察して、わが家へと急いでくれた。

車に乗ったら娘は落ち着いたみたいで、私も落ち着いたので、今の状況を説明して、2人で一緒にお祈りした。

「今日は特別だよ。べべちゃん、ママはたくさんの荷物があってベビーカーもあるから、抱っこはできないんだよ。おてては二つしかないでしょ?
パパがいたらいいけどね、今日はいないでしょう。
一緒に頑張ろうよ。」

とか、なんとか、そんなことを話して、私も自分の至らなさを彼女に詫びて、祈った。

そのせいかどうかわからないが、うちのマンションの前でメーターが上がったとき、運転手さんがおまけしてくれた。

金額は大した事ないのだが、私たち母子を気遣ってくださったようだったので、そのお気持ちが嬉しかった。

この運転手さんも、渋谷の周辺をずっと運転しているとおっしゃっていた。

今日は渋谷の見知らぬ人と、娘を通して、たくさん話した。

一人の育児は、しばしば不安な気持ちになるのだけれど、こんなふうにして誰かと会話するとき、神様が応援してくださっているような気がする。

どうと言うことのない一日が、あたたかく、うれしかった。