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シャ乱Qのはたけ氏とバッタリ

渋谷にあるXXXXBarTube。takoyaki_producedbyHatake-san.JPG

たこやきを頂きました!bartube.JPG

お店の人に作り方を教えてもらいました。
takoyaki_machine.JPG

食べ終わって、歓談して、お手洗いから戻ると、私達のテーブルに金髪の長髪の方が。
(お。外国の人が乱入・・・?)などと思いながら顔をのぞき込んだら、な、な、なんと、シャ乱Qのはたけさんだー!!

それで、これめっちゃ美味しいから食べてみ。とお薦めいただき食べたバナナデザート。
<banana.JPG ココナッツがまぶしてあるのかな
※私が写真を撮ったら下手だと言われてしまいましてはたけさんが撮ってくれました。

一緒に撮らせて頂いた記念写真は後日アップm(__)m

本日の岩男さん

うちの会社の岩男さんはコチラ

岩男さんとも久しぶりに話した。
席が離れたからすっかり口をきく機会がなくなった。

12時。鞄を持って出かける私に声をかけた60過ぎの岩男さん。

岩男 「お、どっか、でかけんの!?」

桜子 「ランチ。お友達とお店で待ち合わせなんですよ~」

岩男 「友達?」

桜子 「そう。友達が出来たんですよ~。
     というか、うちの会社の近くに友達が勤めていることが分かって♪」

岩男 「そうか~。よかったなあ~。俺よぅ、お前がキチンとご飯食べてんのか、心配でよぅ」
    ※社内で私が一人ぼっちだということを知っている

桜子 「笑。大丈夫ですよ~。そだ、今度一緒に岩男さんもランチいきます?」

岩男 「おう、いいなあ!」

桜子 「ホントですか!?」

岩男 「おう、うめえもん、食わしてやる!!」

そのあと、友達に言ったら即効で、ランチ行く行くと言ってました。岩男さんへ

by桜子

ビジネスリーダーズインタビュー

2003年頃、私はパソコンの設定はできないし(今も?)、ネットワークやコンピューターといった世界については全くの無知だった(今も?)。

だからCNETという媒体があるこの会社(当時)に転職して、
CNETのロゴ付き名刺をつくって頂いた時も、
「価値がけっこう(特に米では)あるんだよ~」と教えられても、意味がまるでわかっていなかった。

毎日流すCNETのメールマガジンでニュース欄を読めども、何を書いているのか努力しても興味がもてない有様で、本当によくわからないことばかりであった。
※それなのにゲームメールマガジンの編集後記を書かせて頂いたという、今思うと顔から火・・・。
幸い、人間関係には恵まれて、周囲にいた同僚に助けられて、私はPC社ですくすくと育っていった。
IT音痴という

ネット業界のことについて知らなくても、それはそれで悪くなかった。

私はアルファブロガーと言う言葉も、ギークと言う言葉も知らなかったけど、
自分がブログをもって、隣にいる同僚とかとその日のおやつをアップしたり、
時々強面な上司が、「実はけっこう読んでるんだよねw」なんて言うのを
きゃーっ☆ とか、ワハハ、とか笑ったりしているのが楽しかった。

それがだんだん、ネット関係の友達が増えて

わが人生は誰のもの?

「そんなの、決まってんじゃん。俺の人生は俺のものだろ」と、
100人中99人は言うだろう。

私もずっとそう思ってきて、10数年前、
聖書に「あなたはわたしのもの」と書いてあるのを読んだ。
そして、人生は私のものではなく神様のものなのだ、と知るようになった。

以来、人生の主役の座を神様に渡さなくてはと思いつつも、
99.99%椅子に座るのは自分という日々を繰り返している。
(※ちなみに宗教団体には一切属してはいない)

まあ、そういうわけで、私はその神様の存在を信じたときから
 「過去に起こった全ての責任者は私ではなくて、神様のせい」
と思って生きるようになった。

しかし、先日ふと違うかも、と思った。それはこんなことに端を発する。

「毎日なんで仕事とか辛いとかいうのか分からないな。
 そもそも『私は一切愚痴りません』なんて宣言、どうして言うのさ?
 好きなことやってて、自分が選んだ人生だろ?嫌なら辞めたらいい。
 人生は自己責任さ」

というわけで、今日は人生は誰のもの?をテーマに考える。

たとえば、私が結婚して授かった子どもが障害をもっていたとする。
これは誰のせいなのか?これは神様のせいである。

聖書では次の記述がある。

===============================
イエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。
「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。
 この人ですか。その両親ですか。」

イエスは答えられた。
「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に
現われるためです。(ヨハネの福音書 9章1-3節)
===============================

力の及ばない世界があって、このような大きなことから小さなことまで
全て、神様がその人にもたらしたものであって、自分に起こる全現象は、
「神様のせいだ」と思ってきた。
自分にとって好ましい良いことも、好ましくない嫌だったことも、
その背後には神様がおられる、そう思って生きてきた。

しかしこれは、たまに、そうすると、

「うまくいかなくても、神様のせい。」
「会社が辛くても、神様のせい。」

いつもどこかでこの発想が私につきまとう。

これはとても楽な生き方で、正しい考え方なのかもしれないけれど、
この考え方ゆえに、どこかでいつも不遜ながら神様への小さな不満が
溜まってきてしまう。

うまくいかなければいかないほど呟いてしまう仕組みが、
いつも私を取り巻いていた。

「もっと楽な人生を送りたかった!」
「こんなはずじゃなかったのに!」
「神様を信じたせいでこんなことになってしまった!」

これらの不平不満を一気に解決する答えを今夜見つけた。
大事なことを忘れていたのである。

神様を信じることを選んだ人生、神様が私をそのようにしたということ含めて、
それは私がacceptして、受け入れて、選んだ、決断の人生なのである。

だから、その上で何かあったとしても、それを信じて進もうと決めた、
私のせい、なのである。

ノアの箱船

仕事中、ノアを思い出した。「ノアの箱船」のノアである。

ノアは神様からの啓示を受けて、村の人に「これから大雨が降る」と預言した。ところが信じてもらえず、わらわれたなかった。
それでもノアは神様に言われた通り忠実に設計図に従って巨大な船を作る。

少なくとも象二頭が入り、空の動物から地の草・肉食動物が入る大きさを作った。
長い長い年月がかかっただろう。
そしてその長い月日をノアは周囲の侮蔑や冷笑の中続けたに違いない。

それできっとノアは彼らに対して飽きることなく警告を発し続けたに違いない。

この態度、まさに電通鬼十則第なん箇条、
思えば新規ビジネスもこれに似ている。

罵倒されても摩擦があっても、信じてやり抜く
よほどいい案じゃなければ非難されるのがオチ。
思うに万人がいいというアイデアなら、それって既に言い続けてバカ