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** ****・IT業界で働く、VIVA! 桜子の超気まま日記・**** **
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■「桜子の部屋、お友達の輪その33」編 VOL.183
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FX Palo Alto Laboratory(FXPAL:富士ゼロックス出資米法人)
「伊東 健」会長(Ken Ito Chairman & CEO)
慶應大学大学院元教授の森氏(お友達の輪その23)から「とても面倒見が良い方」
とご紹介頂いた、爽やかな笑顔に白いシャツが良く似合うダンディーな伊東氏。
同僚の田中氏や関田さんが暖かく迎えてくださった雰囲気の良いオフィスで太陽の
光を浴びながら、世界初のお話を沢山教えて頂きました。
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★伊東健さんの簡単なプロフィール
東京工業大学卒。77年から80年まで、世界を変える数多のIT発明がなされ、現在の
IT技術・標準の基盤を創出したXerox Palo Alto Research Center (PARC)に勤務。
歴史的瞬間に何度も立ち会われ、現在はそのPARCに隣接する富士ゼロックスの
研究所FX Palo Alto Laboratory (FXPAL)のChairman & CEO。
★桜子が勝手に選ぶ、伊東健語録
・1974年にAltoという研究用パソコンが作られました。恐らく世界で最初のPCです。
・ものすごく有名な話を僕は今しています。
・例えばgoogleのCEO、エリック・シュミットは・・・ここで研究者でした。
・現在のITの基盤となる技術がほとんど全て、発明された。
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■(冒頭から裏話でゴー!)
桜子 :では早速ですが、インタビューを q_(^^)
伊東氏:そうですね。あの
=「音声が切れました。電池を交換してください」(女性の声)=
※持参した録音機が電池切れにて自動音声が流れる
桜子 :(キャ━━━━(;゚д゚)━━━━━ッ!! ) すっ、、スミマセン!!!
伊東氏:電池ある?
桜子 :うぅっ・・・アリマセン。(>_<;)
(※伊東会長が秘書の方を呼んで電池をくださる)
(※録音機を使ったインタビューは25人目から始めました)
桜子 :申し訳ありません、ありがとうございます。
伊東氏:野球の選手がグローブなしで球場に来ているようなもんだよね(笑)
グローブとバット忘れちゃった~って。フフフ(笑)
桜子 :(>_<)うぅぅっっ(苦笑)
って、笑っている場合じゃないんですけど、本当に申し訳ありません。
こんな感じで素人ながらやっています(大汗)
伊東氏:いや、いいんですけど(笑)そういえば、お昼どうします?
もしよかったらご一緒にと思ったんですが。
この隣がね、PARCという、ゼロックスのパロアルトリサーチセンター。
そこで昼御飯を食べられますから、と思ったんですよ。そこはご存知か
どうか分かりませんが今のPC技術が出来た、いわゆる本当の発祥の地。
桜子 :w(◎o◎)w え~!!?? ホントですか~!?
行きたかったね~!?(※と、カメラマンの人を見つめる)
伊東氏:ここまで来てパロアルトのリサーチセンターを見ない・・・?
桜子 :というのはもったいない??本当ですか!?(←来てから興奮してばかり)
伊東氏:思いますよ。普通は皆さん、中には入れませんけど、折角ゼロックスに来て
寄らない・・・というのは・・・非常にもったいないですよね。
■伊東さんとPARCの関係
桜子 :では後ほどぜひ。その前にまず伊東さんへ質問です。
今年4月に赴任されたそうですね。これまでの海外赴任経験は?
伊東氏:ありますよ。実際これが4回目です。
最初は1974年から1976年まで大学に行きました。ロサンゼルスの
カリフォルニア大学(UCLA)で、その後ボストンのMITに行きました。
2回目は、1977年から1980年まで、さっきのPARCにいて仕事をしていました。
そのとき先ほどお話した、まさに今のPCの原型の技術が全部できあがる時
にいたんです。その後1981年にStar(日本ではJstar)として、それらの技術
が集大成して商品化されました。それが現在のマイクロソフトのWindowsや
アップルのマッキントッシュの原型となりました。
桜子 :では随分と感動体験をなさったのでは?
伊東氏:そうですね、感動体験というか、自分にとってはその中の一部だったので。
感動するというよりは、何と言うんですかね。(考えながら話すしぐさ)
やっていることが将来広まるだろうな・・・というふうに思いながらやって
いたので、自分が感動している暇はあまりなくて(笑)人を感動させる方の
役割でした。
3回目は1988年から1991年まで。それはこのシリコンバレーのSunnyvaleに
ゼロックスの開発部隊がありまして、そこでグローバルビューというJstarの
後継商品の開発をやっていました。
そもそも、何ができたかということなんですけども、パロアルトの研究所で
やっていたのは・・・どこまでご存知かな?知っていたら言って下さいね(^^)
桜子 :あの、基本的に、何も知らないと思ってください(笑)。
伊東氏:はい。でも、これ位は知っているというのがあれば言ってください。
桜子 :(^ ^;) はい・・。
■世界初のパソコン誕生と続出する新発明!!
伊東氏:1974年に、Altoという研究用パソコンが作られました。
それは、ゼロックスのパロアルト研究所の、研究所内だけで使うための
当時で言えばミニコンという感じなんですけれども、でも、パーソナル・
コンピュータという名前を付けられましたから、それが恐らく世界で最初の
パーソナル・コンピュータ、PCです。
桜子 :へえ!素晴らしいですね!!
伊東氏:ええ。それを1人1台、研究者に与えられて。
桜子 :それは贅沢ですね。
伊東氏:まあ、そうですね。当時ね、1台やっぱり500~600万円しましたから。
それを1人1台、150人ぐらい。
桜子 :150人全員に!?
伊東氏:はい、全員。秘書も。だから今の、PCを1人1台持っている環境を、既に
当時そこで実現していたんです。それはもう世界ではそこしかありません。
桜子 :世界で最初にそういうことを実現された会社ですよね。
伊東氏:そうです。その時に、イーサネットってご存知ですかね。
ローカルエリアネットワークの。それがそのPARCで発明されました。
そのAltoというコンピュータがハードウェア的にも今のPCのほぼ全ての
原型です。昔は全てのコンピュータは文字しか表示できなかったんですよ。
それを絵や画像ができる、という機械をここで作ったんですね。
それは本当にここで発明されたというか。
桜子 :そうか、発祥の地だものね。
伊東氏:ええ。で、それだけじゃない。
それをベースにして、色んなソフトウェアが作られたんですね。その
ソフトウェアの中には、アイコン—アイコンってわかりますか?
桜子 :アイコンって、あの、絵みたいなマークですよね。
伊東氏:それそれ。それが発明されました。それまでは皆、文字をタイプする
ことしかなかったんです。文字を表示し、文字と文字でinteractiveにやる
ということしかできなかったのを、絵で表示するという発明がされました。
次にドキュメントを表示して–今ではみんなWordを使って自由にedit(=編集)
していますが– そのWordの原型を作ったのがPARC。
その発明をした人がマイクロソフトに移ってWordを作った。Excelもそうです。
桜子 :ああ、そうなんだ!引き抜かれちゃった?
伊東氏:まあ・・・引き抜かれた。
ちなみにその人はチャールズ・シモニーという方ですが、彼は今年の
2月かな、ソ連の宇宙船に乗って何十億円かお金を払って旅行した人です。
桜子 :わ(^^)
伊東氏:それから、グラフィックス・エディタ。
例えばグラフや絵を描くという、従来のそれまでのコンピュータでは
全く実現できなかった機能が、Altoという機械の上でソフトウェアが
書かれて、発明されました。
で、そのグラフィックス・エディタとテキストの文字のエディタ、それを
一緒にしたソフトウェアも発明されました。それから、マウス。
マウスも、ここで、初めて、商品化されました。
桜子 :ええっ・・・。凄い(≧∇≦)
伊東氏:マウスというのは、SRI(スタンフォード・リサーチ・インスティテュート)
という–やっぱりこの辺にある研究所–いわゆるシンクタンク。
そこのダグラス・エンゲルバートという人が発明しました、マウスを。
桜子 :うんうん。
伊東氏:マウスを発明したのですが、当時そのマウスを何にどうやって使うのか、と
いうことは、ほとんど誰も研究されていなかったんですね。ただ、テーブルの
上で動かすと、それに従って画面の上で何か動く、右に動かせば右に動く、
というデバイスでしかなかったんですね。
それを有効に使うという方法やソフトは全くなかったんですが、それをパロ
アルトで、さっき言ったAltoとか–今のワードの原型になっているBravo
というソフトなんですけど–で、マウスを使って色々有効にeditできるツール
ポインタであるということがここでどんどん展開され、マウスを最初に商品化
したのはゼロックスです。マウスに関する特許もゼロックスが持っています。
イーサネットの特許も持っていました。それから、えーとアイコン。アイコンが
発明されました。それからポップアップメニューってわかります?
ポップアップメニューも発明されました。PARCで。
桜子 :最初にですよね?
伊東氏:最初です。だってそんなの何もないですから。
世の中に何にもないんですから。
桜子 :えーと・・・ σ(-_-;)
これって当たり前なんですか?有名なんですか? ※ふと、事の重大さに気づく。
伊東氏:ものすごく有名な話。 (・▽・)σ
桜子 :Σ( ̄∇ ̄;;;)!!
伊東氏:ものすごく有名な話を僕は今しています。(←大真面目な伊東氏)
桜子 :それを知らない私の方が問題ですよね!!
ああ、そうなんだっ☆あははははっ (≧▽≦) ※一人、大ウケ。
伊東氏:そうでもないですよ(笑)
最近の若い方は知らない人がほとんどだからね。
桜子 :実は、来る前にうちの技術の者がパロアルトさんに行くって言ったら
「それ凄いな」なんて言われたんですよね。でも、何がどう凄いのか
聞く暇もなく来たので(汗)・・・じゃあ、何か世界を変えていくっていう。
伊東氏:まさにそうです、ここで変わったんです、世界が。
熱く語る伊東さんと桜子。
■アップルとマイクロソフトの話
伊東氏:そういう一連のソフトを、、スティーブ・ジョブズって?(チラリと桜子を見る)
桜子 :わかります <(`ー?)> (自信満々)
伊東氏:当時は彼が、アップルは、こんな小さな、玩具みたいなコンピュータを
作っていたんですね。そのスティーブ・ジョブズが、ここに見に来ました。
誰かに教えてもらったんでしょう。それで、そういう技術を見て
「あ、これだ」と、思って、その技術を悪く言えば、盗んだ。
桜子 :(^◇^) わはは。
伊東氏:良く言えば、勉強した。
桜子 :(笑) なるほど。
伊東氏:で、それをマッキントッシュの原型のリサという商品をに作った。
そうこうしているうちに、マイクロソフトがアップルのマッキントッシュを
真似して、Windowsを作った。で、今Windowsになった。
アップルがマイクロソフトを訴えた。本当に訴えたんです。
裁判をやりまして、2年か3年。結局、アップルは勝てませんでした。
負けたとは言わないけど勝てなかった。
マイクロソフトも裁判のもとで負けなかった。
なぜかというと、もともとの技術はゼロックスだったからです。
桜子 :そうですよね。
伊東氏:だからアップルがマイクロソフトを訴える根拠がない・・・という
有名な事件が、20年くらい前ですかね?
そもそもさっき言った一連の物凄い発明がなされたのは30年前ですから。
■アメリカのお仕事事情
桜子 :感慨深いですね。また今ここで、こうして、このお立場で
赴任されたというのは、ご自身としても?
伊東氏:やっぱり感慨深いですよね。私はここに16年ぶりに戻ってきましたから。
私は本当に全体の一部しかやっていませんから、大勢の人がやった
その中にいた、ということは、非常に感慨深いですよね。
桜子 :当時のメンバーはまだ今もいらっしゃるんですか?
伊東氏:2人ほどしかいませんね。この辺のアメリカの会社はどこでもそうなんですが
やっぱり優秀な人ほど、次のいい機会を求めて動くんですよね。
ですから、さっき言った150人ほどいた研究者も、20年、30年するうちに大体
いなくなった。新しい人ももちろん入っていますから、私が知っている人と
いう意味では2人ほどしかいない。
例えば、googleの今、会長CEOをしているエリック・シュミット、彼は、
ここの、ゼロックスのPARCにいて研究者でした。
桜子 :へえっ。それも有名なんだろうな・・・(ボソ)
伊東氏:彼がサンマイクロシステムズに行って、サンマイクロシステムズのCTO
(技術の一番偉い人)をやり、その後ノベル社の会長になって、CEOに。
その後、googleの今CEO。
ですから、有名な人がいますよ。それからレーザプリンタ。
今レーザプリンタは当たり前のようにオフィスで使われていますが、
レーザプリンタがやっぱり発明されました、このPARCで。
当時私がいた1977年から1980年頃は、世界中でどこを見渡しても、
レーザプリンタと呼ばれるものは、このPARCにしかなかった。
それを発明したギャーリー・スタックウェザーという人がいるんですが、
その人が今やっぱりマイクロソフトに行ってますよ。
それから、スモールトークもやはりPARCで発明されました。
スモールトークって、オブジェクト指向言語の、本当に。
桜子 :数えきれないですね・・・。
伊東氏:もう本当に数えきれないんです。ですから、オーバーじゃなくて、
今日現在のITの基盤となる技術がほとんど全て、そこで発明された。
それをみんな応用して応用して、改良してやっている。
桜子 :日本の財産ですね。
伊東氏:うーん? 日本というか、世界の。
桜子 :あ、そうか。世界の財産 (^^; でも、もっと有名でもいいのに?
伊東氏:ああ、そういう意味で?まあ、アメリカでは有名ですよ。
桜子 :そうですね。あっ、そうか、私が知らないだけですものね (x_x;)
伊東氏:若い人はほとんど知りませんから。知らなくても問題ありません。
桜子 :これ・・・は感動しますね(しんみり) ・・・知らないで来た事が
問題でした・・・o(_ _;)o
■もっと知りたい人はこの本がお薦め!
伊東氏:これがすごく有名な本なんです。日本じゃなくて、アメリカで。
これはアメリカの本を訳した日本の本なんですが、アメリカの原本は
『Fumbling the Future』という本なんです。
Fumblingというのは、フットボールでボールを渡されたのに、ボールをちゃ
んと持てなくて、下に落っことしちゃうことなんです。どういうことが書か
れているかというと、世界初のパソコンの発明を-
桜子 :ふいにした!?(※表紙を読む)
伊東氏:ふいにした。(頷く)
まさにそういうことが書いてあるんです。それはいかに凄い発明が、
そこで成されたか、ということや、人の様々なやりとりも、かなり細かく
書いてあるんです。私も読んでいて、「いやあ、懐かしい、懐かしい」
という話ばっかりなんです。
桜子 :ご自身が知っているからですね。
伊東氏:ええ、知っている人がいっぱい出てきます。
それで、結局ゼロックスは全ての、ほとんどの技術を発明して、
商品も出しました。出したにも関わらず、結局、本当に売れる物に
なったのは、MacintoshとWindows、しかないんですね。
ハードウェア、PCを作るためのintel(インテル)のプロセッサ。
ですから、ウィンテルという言葉はご存知かと思うのですが、Windowsと
intelの組み合わせが一番勝ち組であって、他は皆、なんて言うか、
負け組か、そうでなければウィンテルの後を、単に、四苦八苦しながら
一生懸命ついていってる、ということになっちゃったんですよ。
ここで活躍した、色んな発明をしたゼロックスの人達が、結局色んな所に
バラバラに散らばっていった。もちろんアップルにも、サンにも、アドビにも
3Com(スリーコム)にもマイクロソフトにも、その他多くの会社に行きました。
例えば、イーサネットを発明した人は、この辺のやっぱりネットワークの
会社を興していますね。3Comなんかもそのうちの一人なんです。
だから、人によってはゼロックス・ユニバーシティという人もいました。
伊東氏:アラン・ケイという人は、いわゆるパーソナルコンピュータのビジョナリー
なんていってね、ビジョンを色々言った人です。特に有名なビジョンは、
今のラップトップを30年前に提唱したんです。
ですから当時は、さっきのAltoもそうなんですけどこんなに大きいんです。
(大きなパソコンを描くジェスチャー)「こんなに大きくて、これくらい」
スクリーン、CRTもこのくらい大きいんですけど、それを1人1台持っていて、
しかもパーソナルコンピュータとマニュアルに書いてあったんです。
その時代に【将来はこうなる】と今のラップトップをモックアップで作って、
そこで何ができるかということを、彼は提唱したんです。
桜子 :へえ、凄い。
伊東氏:そのモックアップをそのアイディアのことをダイナブックと呼んだんです。
今でいうラップトップPCを提唱したんです。
桜子 :あ、そうなんだ。
伊東氏:それで、東芝のラップトップはダイナブックという名前を付けたんです。
非常に有名なストーリーなので
桜子 :あはは(笑)これもね・・・(x_x;)
色々と素晴らしいお話を聞いて、ちょっと衝撃的です。
■シリコンバレーで働くこと
桜子 :はい。あの、今さらこれを聞くのもなんですが、
やはりそれはシリコンバレーにいるからできることですか。
伊東氏: そうですね。
シリコンバレーという環境はそういう刺激がいっぱいある所なんですね。
さっき言いましたようにゼロックスのPARCで様々な発明をした人が、色んな会社に
今散らばっているんですよ。それと同じように、色んな会社でいい仕事をした人が、
そこにずっと長く留まる んじゃなくて、色んな会社を、やっぱり渡り歩くんですよ。
昔、Japan Inc.という言葉が出たのはご存知ですか?
日本株式会社と訳されましたけど、ジャパン・インク。つまり日本は護送船団方式
というか、政府が、特に昔の通産省が上にいて、日本の業界を指導、リード
して、まとめてきたんですよね。だから、日本全体がアメリカや西欧から見ると、
日本株式会社のように全体が動いている、しかも発展しているというふうに
見えたんですよ。
ところが私はね、Silicon Valley Inc. というふうに、呼びたいんですけれど。
シリコンバレーはさっき言いましたように人が動くんですよ。会社はもちろん
ありますが、その会社に人がずっと閉じこもるのでなく、人が動きますから、
シリコンバレー全体が、一つの会社のように機能していると僕は思うんです。
だから、日本の会社で言う事業部がありますよね。人事異動があって、
人が動きますよね。ですから、ここでいい仕事をした人が、またこっちに移って
・・・という、一つの会社の中では当然行われますけれども、アメリカは
それが本当にシリコンバレー全体で、或いは国全体で行われているんです。
そうすると、新しいアイデアをどんどん作りやすい、作られやすい環境なんですね。
桜子 :そうですね。共有し合う。
伊東氏:そう、共有しやすい。そして共有されてしまう、しかも、本当はここだけの
秘密にしておきたいものが、人が動くと同時に色々なものが共通化されて、
アイデアがどんどん発展していくという世界なんですよね。
そういう場所に身を置いていると、いろんなコンファレンスもありますし、
いろんな人の出会いや交流もありますし、そういうところで新しいアイデア
が凝縮していく。残念ながら日本では、ありえません。
日本では、大学もどちらかというと閉鎖的だし会社もやっぱり閉鎖的ですし
アイデアをシェアし合うということが、特に日本人は下手ですし、会社もそ
ういうこと、秘密情報は外に漏らしてはいけない、というような・・・。
もちろん、ここもそうなんですよ。どんな会社も、会社の機密事項は漏らし
てはいけない。それはシリコンバレーでもあるんですが、でも、結局人が動
けば、そんなことはどうでもいいわけですよ。皆わからなくなっちゃう。
人が動くことによって、実は機密情報というのはどんどん、もっといっぱい
漏れてしまっている。それはある意味では非常に、問題といえば問題なんで
すが、でもそれがいわゆるアメリカのオープン社会、オープンな社会を構成
している人達の要素なんですよね。
だから、特にこういうシリコンバレーはそれが活発に行われていて、その同
じ場所にここの会社があるということは、そういう社会から刺激を受けられ
ますし、情報も得られますし、情報も発信しやすい。それから隣にPARCがあ
るという本当にいい環境で仕事ができていると思います。
桜子 :今、仰った考え方は、赴任されてから感じたのではなく、昔からですよね。
そういう考えを持って日本の企業にいて、フラストレーションはなかったで
すか?
伊東氏:それはねえ、ありました(笑)
桜子 :ありましたよね。(うんうん頷く)
伊東氏:ただ、アメリカから日本に過去3回帰っていますよね。
帰って最初の半年くらいは、やっぱりそういうフラストレーションの塊です
ね。でも、そのうち日本の仕事に慣れますから。日本の仕事ってそれなりに
忙しい。こちらも忙しいんですが、違う忙しさがありますから、やっぱり忘
れますね。忘れるというか、あんまり感じなくなる。それを普段考えている
暇はなくなるんですよ。こっちに改めて久し振りに来ると、「やっぱりそう
だったんだ」というふうに思い出しますよ。
桜子 :今まではそういう刺激が常にあったのに、日本に戻ると変化する。そんな中
にいると、焦りみたいなものはなかったですか?[limit]