渡辺千賀さんのインタビューをアップします。
今回は2本立てで、やわらかい話はこちら、堅い話はここで。(合計の所要時間は8分かな!?)
―三菱商事に入られてスタンフォードに留学しますよね。これはどこかでの出会いがきっかけだったという話を聞いたんですけど。
千賀氏:2月と8月にたまたま、ボストン・パロアルト出張というのを
2回続けてしたんです。2回とも、東京とボストンがひどい状態。
2月は寒いし、8月は暑さに溶けそうで。
それでもパロアルトはどっちも同じ気候だったんですよ。
それで「これだ」とまず思って、
8月に行ったときに、三菱商事からスタンフォードに留学していた人が
たまたまいて、1時間くらい学校を案内してくれたんですよ。
それで、学校そのものより同じ会社の社員が、
ジーンズにスニーカーを履いて、
ゴルフのカブリオレ
かなんかに乗って、登場してきたの。
それを見た瞬間に「これだ!」と思って、
私はこれをしなければいけない、と思ったんですよ。
―それですぐに、社内留学の書類を書かれた。
千賀氏:帰国後、机の上を見たら、ちょうどその応募書類があって、
見たらその日が締切だったので、書いて人事部に持っていったと
いう。
―そうですか(笑) それから一度日本に戻られて?
千賀氏:戻っています。
―20代後半でいろいろなキャリアパスを模索されたと。
千賀氏:戻った後、やっぱり、自分でなにか起業しないといけないかな、
と。誰でも1回は思うと思うんですけど、そういうのもあったし、 会社の中でスピンオフして何か事業をやるというのも格好良いかしら、
とかいろいろ思ったんですけど、段々とわかってきたのは、
私は人に使われるのも人を使うのも嫌というか苦手だとわかって、
独立して一人で何かをやりたいと思うに至りましたね。
―ということは、それまでの三菱商事の仕事も、こう、楽しくないと
言ったらヘンですが。
千賀氏:というか、そもそも私は三菱商事を辞める時も、皆に言ったんですが
三菱商事が嫌だったんじゃなくて、会社勤めが苦手であるという結論
に至って「ごめんなさい、会社勤めが苦手なんで辞めます」
と言ったら、人事部に「それ、もっと早く気がついてよ」とか言われて。
桜子 :(笑)でも、その後も会社勤めが続いているじゃないですか、
ネオテニーとか。
千賀氏:そうね。でも、サイズが少し違うかな。
あとマッキンゼーは、会社勤めという感じでなくどちらかというと
芸者の置屋みたいなところがあって、組織があって
上からだんだん皆でパーツをやるのでなく、
例えば3人集まって3ヵ月パアッとやったらおしまいという感じで、
会社というふうではないかな、という感じがしましたけど。
桜子 :そういう私のようなツッコミは他の方からなかったですか。
千賀氏:というかね、私、三菱商事を辞める時にはまだ次になにをやるか
決めていなかったので「とにかく辞めるんです、さようなら」
みたいな感じだったので。
あとは周りから見て、マッキンゼーなんかは、組織の中で何かをやる
というイメージじゃない、というのはあったんじゃないかな。
遠い昔の話なので忘れてしまいましたが(笑)。
―三菱商事を辞め、マッキンゼーとネオテニーへ繋がっていかれますが
どういうところで。
千賀氏:マッキンゼーは、でもやっぱり三菱商事を辞める時に、一応何社か
コンサルティング会社のファームには会っていて、どれに行くかは
決めていなかったんですよ。
それで、すごい思ったのが、三菱商事に勤めている間は、なにか
「この会社にいないと死んでしまうのではないか」という恐怖
というのが。
桜子 :わかりますっ。
千賀氏:NTTなどもすごくあるかもしれないんですが。
桜子 :そうなんですよ。
千賀氏:いる間に、「これが宇宙」みたいに感じてくる。これが宇宙だし、
この土台がなければ自分というものが存在しえないような気がして
くるし、自分のいるところが非常によい場所のように、
エリート企業のように感じられるんですが、それは大きな間違いだと。
大したことないんですよね、辞めてみれば。
ただ、辞める時にとても勇気が必要で、外から想像するより何倍も
「自分たちは偉い」と内側で思っている人はいるので、
私もなんだかんだ言って10年近くいたのですごく感化されてしまって、
なかなか辞めがたい。
桜子 :それは、やはり一流商社ですから・・・。
千賀氏:とても怖い、というのがあり、次にランディングする場所というのは
やはりブランドがないと怖いというのがあって、その受け皿としては、
マッキンゼーは悪くなかった。
―ではオファーがいくつかあって、その中の一つがマッキンゼーだった。
千賀氏:そうです。どれにしようかなあ、と思って。
―それほど強い意志があってマッキンゼーを目指したわけでもない。
千賀氏:そうですね。ただ、なんとなく・・・。マッキンゼーの人は
そう思わなかったかもしれないけど、私は個人的に向いているだろう
と自分で思って。勝手に自分で適性検査をして(笑)
―マッキンゼーに99年に移られ、2000年にアメリカに移られた。
アメリカに来たきっかけは何でしたか。
千賀氏:いろいろあったんですけど、うちの旦那が日本語ができなくて、
日本かアメリカで暮らすかと言ったらアメリカという話になりました。
桜子 :じゃあその前に出会っていらしたのですか。
千賀氏:ビジネススクールのクラスメートだったんです。
アメリカ市民なんで、一応私のグリーンカードの引き受け主ですね。
旦那の会社のクリスマスパーティで、
「私がこの人と結婚したのはグリーンカードを取るためです!」
とか言ったら、しーんとしちゃって。
桜子 :アハハ、みんな本気にしたんですね!!
千賀氏:「冗談だから」って言ったら、みんな「はっはっはっは(低音)」という、
遅れた笑いが起こって困ったんですけれども。
―では、旦那さんと知り合っていなかったら、アメリカに来ていない?
千賀氏:(さらりと)多分ね。
―2000年に来た年にBlueshift Global Partnersを作られたというのは、
今までの経験を踏まえて?
千賀氏:最初はいろいろ紹介された人に会って自己紹介の挨拶をしたら、
じゃあ一緒に仕事しようと言ってプロジェクトがいくつか始まり、
そうこうしているうちに、フルタイムになるな!という感じですね。
何々をするために起業して、ではなく、なんとなくという感じですね。
こういうパターンは多いですよ。
いったん仕事を辞めて、何かしている間にだんだん仕事が舞い込み、
だったら、ちゃんと会社組織にする、みたいな人が。
―そのなかで、JTPAの発起人になって日本人の技術者の方を
支援しようという、それはどういう関係で?
千賀氏:より自由になるために頑張るという所では、かなり気合いを入れて
やってきたつもりなんですよ。
やっぱり自分を自由にするのは、特に日本なんかだと相当ポリシー
がないとできないと思うんですよ。ついつい、やっぱり形にはまって
いっちゃう、ヒエラルキーの中にいたほうがずっとラクだから。
桜子 :そうなんですよね。
千賀氏:そこから自由であろうとするのは、私なりに強いポリシーがあって
やってきて、その時その時でチャンスを掴んできてはいるけど、
自由の好きな人って他の日本人と群れたがらないというのがあって
シリコンバレーにいるような日本人(駐在員じゃない人)は
群れたがらない人がいっぱいいて、そういう人達同士がたまに会える
ようなところを作ろうというのが、JTPAの主旨。
―SVJと、どちらが早かったんですか。
(※SVJ=Smart Valley Japan。96年シリコンバレーのスマートバレーインク
(SVI)における地域経済の活性化及び生活の質の向上に向けた活動に
共感した個人有志によって、非営利の民間任意団体として設立)
千賀氏:ほぼ同じ時期なんですよね、偶然なんですけど。
―お互いに、作る時に話はなかったんですか。
千賀氏:ぜんぜんなくて、パラレルでしたね。今SVJは基本的にJETROが
主催して日本から企業家を招くというイメージですね。
我々は割と、普通の会社で働く普通のエンジニア、例えば
JTPAの集まりで、SONYからAppleに行きiPhoneのインターフェイスを
つくった増井さんが来られて、ギークサロンに15人だけ呼んで話す
というのをやりました。
―入会資格はあるんですか?
千賀氏:ないです。寄付されると様々な会が少し割引になるという感じです。
どうやったら参加できるかというと、先着順ですよ。
やっぱり内輪で情報は回っているから、チャットとかで、
あんなのが出たよ、と情報が回りやすいようにはなっていますが、
別に普通の方がご覧になって応募してきても先着15人で、
誰でも来られるんですよ。
(注:8月からギークサロンの人数制限は基本的になくなりました)
―話を戻して、今のお仕事の話をもう少し。仕事上、気を遣っている
点はありますか?
千賀氏:一番気をつけているのは、エンターテインメントであれ、
例えば事業計画を書くなどどんなにつまらない仕事であっても、
ちゃんとお客さんが、面白い、と思う瞬間がないといけないなと
思いますね。
一番基礎のエンターテイメントは、美味しいレストランで接待して
「ああ、美味しかった」と思ってもらう、とか。
まぁそれ以外でも、何でもいいのですが、仕事の中で、
こんな人に会うの!?こんなのもついてくるの!?
或いはクライアントに知的な喜びを感じてもらえるともっとあるといい。
単に仕事を遂行するというレベルではなく「ああ、面白かった」と
思ってもらえる瞬間が時々はやってくるようにしたい。
そうすると、今やっているお客さんとも長く続くし、将来にも結びつく
んじゃないかな。
ただ応じるだけのことができる人は一杯いるので、そのレベルだと
個人で常に仕事を取っていくのは難しいだろうなと思うんですね。
―今の会社をもう少し大きくすることというのは考えてないですか。
千賀氏:ええ、考えていないですね。
―お一人で、人は使わず、使われず。
千賀氏:はい(笑)。
―お金が使い切れないほどあったら、どうしますか
千賀氏:そうすると、シリコンバレー的だと、フィランソロピーとかそういう方向に
行くかもしれないですね。あれはあれで真剣なビジネスですから。
それ以外でも何かやっぱりやるんでしょうね。やらずにはいられない
という感じはあるかもしれないですね。
―日本でこの記事を読み、千賀さんのような方に憧れ、これから
シリコンバレーで起業orコンサルテーションをやりたいなという女性へ
何かアドバイスを。
千賀氏:それはその前に、いつでも独立できる位の、大企業実務をこなし
ましょう、ということではないでしょうか。
―やったほうがいいと。
千賀氏:いきなり独立というのはやっぱり無理で、ノウハウもあるし、そこで
まず評判を作り、あの人とだったら仕事がしたいという人がいてくれ
ないと、何も起こらないので。
回りで独立しているアメリカ人も結構いますが、みな同じで、辞めて
しばらくやっているうちに前の上司や同僚から、ぶらぶらしているなら
これやってよ、という話が来る。
逆に言えば、そういう話がこないならダメなので、来るレベルまで、
自分をどこかの企業の中で作り上げ、その上でマイビジネスにする
ということだと思うんですよね。
―どうも、ありがとうございました。