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初めての高熱

 午前中、近所の教会へ行って、家に帰ってブランチを食べ終わった時のこと。

べべを抱っこしたら、湯たんぽのように熱く、計ったら38度あった。あれれ、もう一回、と計ってみたら、今度は39度あった。夫にそれを言ったら、昨日から熱はあったのではないか、昨夕(私がいないときに)べべは吐いた、と言う。

「ええ!?そういうことは早く言ってよ!」
と、私が声を荒げたら、

「その時は熱があると思わなかったし、吐いたのは別の理由で吐いたと思ったから」
と、言う。

 眉間に皺を寄せつつも、「突発性発疹じゃないかな?」と静かに言い、育児専門書を紐解いて説明書きを読んだ。

「生後6カ月ごろから1歳ごろまでの赤ちゃんにかかる病気で、赤ちゃんの関所みたいなもの。1度かかれば2度目はないが、まれに2回以上かかる赤ちゃんもいる。いきなり38度以上の急な発熱から始まるのが特徴で、生まれて初めての発熱をこの病気で経験する赤ちゃんも多いようです。云々」

 
 「まあ、元気な様子だし、病院へ行かなくてもいいと思うんだけど・・・」と私が落ち着きはらって言ったら、夫が尊敬のまなざしで私を見つめた。「学習しているねえ」の言葉に、私の鼻は1センチ高くなった。内心ちょっと嬉しかった。日頃の育児に合格点を貰った感じ!

 だが、いま振り返ってみると、これは偶然の産物だった。ちょうど二日前、友人の赤ちゃんが同様の症状に見舞われた時、友人が「このくらいの月齢には多い発熱」と教えてくれて、たまたま知っていただけだった。

 さらに考えると、今朝の礼拝では、「褒め称えられるべき方は自分ではなく、神様」という話をメッセージで伺ったばかりだった。礼拝ではマラソンのたとえ話があった。

「もし、マラソンであなたが1位をとったら、最も栄誉を受けるべき人は誰でしょう?」
この答えは、神様だった。「なぜなら、神様があなたをそのように創造されたのだから」というのに、なるほどと合点したばかりだった。

 それなのに、私はすぐ自らを誇り、聞いた傍から情けない。(だが、いまそれに気づいて良かった)

 話を元に戻す。

 で、結局、緊急病院が近所だったので、問題ないだろうと思いつつも、特に予定もなかったので、念のためにとべべを少し昼寝させたあと、病院へ出かけた。診断結果は扁桃腺が腫れている、ということだった。


---ここまで書いていたら、眠っていたべべが大声で泣いたため、私はベッドイン。明けて7月9日月曜の朝--

 昨夜も高かった体温は朝、夫が測ると平熱になっていた。
良かった、やっぱり熱は下がったみたい。

 夫は「べべは今日、初めての病み上がりだね~」とほほ笑み、にこにこして会社へ出かけた。が、なんのなんの、彼女が病にかかったのは、これが二度目だ。(1度目はこちら:ハスキーボイス

 そして、結局これは突発性発疹ではなかったようだ。湿疹と言えば目の周りにほんの少しあっただけだったし、すぐ直ったから、おそらく風邪であっただろう。そして、ウィルスの元は、おそらく先週金曜に出かけた代官山保育園の縁日ではあるまいか。

 それにしてもこれは、事初め。「これから先、たくさんの病気や怪我を経験していくんだろうねえ」と昨夜は2人でしんみりとし、私はこの先に思いを馳せた。

 今日は軽い症状だったから良かったけれど、この子はどういう健康状態の子なのか。この先、大病を患うことはあるだろうか?そのたびに心配したり、祈らされるだろうが、娘は無事に成人できる運命にあるだろうか。

 夫は夫で、突発性発疹が生後6カ月ごろから発症する、ということを、「母親の母乳の免疫効果が切れるからだろうね」と言って、「人間の身体って良く出来ているよね。そうやって赤ちゃんもこれから先は病気の危険があるよって教えているんだろうね」と、生命の神秘を褒め称えた。

 
 そして、お互いに「今日という日に発熱してくれて良かった」と一致した意見を述べた。

 一週間前なら、倉敷へ旅行中だった。来週末だったら来客があるから困っただろう。
 そして今日は何となく近所の礼拝場に出かけただけだったのに、結果としてべべに熱があったのだから、家のすぐそばで実に助かった。私たち三人、体力温存ができたし、私個人としては、週末で非常に助かった。(一人で看病は心細い)

 神様はパーフェクトだなあ、

と改めて、感謝と喜びの気持ちが湧いて、神様を知っていること、そして祈れることは本当にありがたいと感じた。