日別アーカイブ: 2026年3月20日

言いたくない、家族のこと。私の「どうすればよかったか?」(5)

介護の話、続きです。

怒っても、罪を犯してはなりません。
日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。
悪魔に機会を与えないようにしなさい。

(エペソ人への手紙4章26節―27節)


怒りの問題について、教会でカウンセリングを受けることになった。

牧師はまず、私の自己開示が不可欠、と説明した。
曲がりなりにも、カウンセラーなので、意図は知っている。

ここでは、信仰を隠さなくていい。
真理について、深く深く語り合う場に、私は飢えていた。

教会のカウンセリングだからって、それがいいとは限らない。
ここで万事解決とは、思わなかった。

たとえ、牧師が関わってくれるにしても、
一つの機会に過ぎないとも思っていた。

だが、抜きん出て素晴らしいことは、祈りが加わることだ。


祈っています

もし、あなたがたのふたりが、どんな事でも、
地上で心を一つにして祈るなら、
天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。

ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、
わたしもその中にいるからです
(マタイ18:19,20)

あなたは、祈ったことがあるだろうか?

私は「日本人は無神論者だけど、危機に直面すると、とっさに祈る」という話が忘れられない。

例えば、家族が事故にあった、という知らせを受けたら、
(ああ、神様助けてください)と祈りながら、病院へ向かうだろう。

子供が病気になれば、
(ああ、神様助けてください)と祈りながら、看病するだろう。


かようにして、どの神様に頼んでいるかも分からずに、
私たちは天に向かって、祈らずにいられない。
私は、人とは、そういうものだと思っている。


聖書は、その神とは、わたし、だと言っている。

世界は聖書でできている
「世界は聖書でできている」
著:高原剛一郎


詳細はこちら(https://amzn.to/3PnMaKc)

それで、あなたがたのふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら…かなえてくださいます」と、ある。


祈りは、目に見えない、きわめて地味な行為だが、実のところ、私はこれが、非常に難解だ、と思っている。


「汝の敵を愛せよ」

は、有名だ。

嫌いな人のために、その人の幸いを祈れ

と聖書は説く。

おまけに、人生の主導権をあなたではなく、わたし(神)に委ねよ。とも説く。


どれも、難しくないですか?
目に見えない神を信じること。日本や世界に、神はごまんといること。
なぜ、その中でイエスキリスト?

で、どうして、嫌いな人の幸いを祈る?祈りたくない。
ある程度、自分で人生をコントロールして、どうしてもうまくいかないときだけ神に頼りたい。

多くの人はそう思うのではなかろうか。



あれこれ書いたが、本題に戻る。
私は、この祈りについても、あれやこれや、長年、疑問を抱えていた。

その悩みは次の章で、書くことにする。

by桜子